こんにちは。
家族問題解決専門カウンセラーの鈴木悦子です。
親にとって手塩にかけた子どもが育っていくこと、いろいろな経験を通し大人として自立していくこと、それらを垣間見ることができるのは親の特権であり醍醐味でもありますよね。
ですが、子どもの成長に伴い親と子の意見の食い違いやすれ違い、それによって円滑であったはずの親子関係にズレが生じ、親として悩むこともあると思います。
親といえど子どもの言動には腹が立ったり悲しくなったり心配になったりと、いくら親といえど苦しくなってしまうこともあるでしょう。
子どもの成長に伴い、なぜいろいろなすれ違いが生じてくるのか?大切な子どもといえど腹が立ったり悲しいという感情が生まれてしまうのか?
今回は、子育てにおいて生じやすい亀裂など、そのあたりのお話をしていきますね。
子どもは親の持ち物ではないという重要な考えかた
子どもを育てながら毎日を共に過ごしていると、いつしか子どもが自分の一部であるかのような、不思議な感覚に陥ることはないでしょうか。
小さな子どもは一人ではなにもすることが出来ず、親の補助があってはじめて生きていくことができます。
個人差はありますが、成長に伴い出来ることも増えていき、いつしか子どもは親の手を離れていきますよね。
それまではずっと見守り続けるのですから、自分の身体の一部といって良いほど子育てが馴染むのは当然と言えるでしょう。
ですが、子どもは成長するに従い人間としての「自我」も芽生えていきます。
「自我」というのは社会生活を送るうえで必要となる自分軸のようなもので、自分なりの思考、感情、行動の意欲が育ってくる、というものです。
子どもの「自我」が育ってきているにも関わらず、いつまでも幼少期の感覚で親が子どもに接していると、そこにはお互いの心の距離が出来てしまうんですね。
親の気持ちとしてはまだまだ子どもと思っていても、子どもは一人で社会生活を送ることは出来ないものの「自我」は確立されていくので、考えかたの判断や意見の食い違いやすれ違い、いつしかズレが生じてきてしまうのはある意味当然と言えることです。
「自我」の確立や成長を親が意識していないと、円滑であったはずの親子関係がいつしか苦しいものになっていってしまいます。
年齢は関係なく目線を同じにする
親としては見守っている役割上「まだまだ赤ちゃんだから」「まだまだ小さな子どもよね」という気持ちでいることは多いものです。
ある程度自分のことは自分で出来るのに、あえて手を焼いて子どもに接していくと、子どもはいつしか、
「私(僕)は親に信頼されていないんだ」
という気持ちが芽生えてきてしまい、それはいつしか怒りやイライラといった攻撃的な感情が湧き上がり、その感情で向かい合ってくることがあります。
親はこれまで自分の言うように、自分の考えるままに子どもにいろいろと要求し接してきていたのに、それが覆されると親も感情的になってしまうのは当然と言えますよね。
親としてこれまで子育ての苦労の蓄積がありますので、その子どもが感情を使い向かい合ってくるのは、正直嫌になってしまうでしょう。
ですが、先ほども述べたように、どこかのタイミングで必ず「自我」は確立され成長していきます。
幼少期の頃と同じような感覚でいつまでも子どもに接するのではなく、大人として目線を同じにして接するということが大切になります。
目線を同じにするというのは、小さな子どもとしてではなく同等として扱うこと。
そうはいってもまだ子どもですので、出来る、出来ないといった範囲はあります。
子どもの年齢にもよりますが、やってみたいと言ったことはあえてやらせてみる。
行きたいといったところにはあえて行かせてみる。
子どもの判断でやってみた、行ってみたことで子どもが痛い思いをすることもあるでしょう。
しかし、あえてやらせてみる、行かせてみることで「自分は親から信頼されている」という自信や経験値となり、歪みのない真っすぐな「自我」が育っていきます。
歪みのない真っすぐな「自我」が育っていくことで人の痛みのわかる、優しさのわかる、折れにくい心を持った大人へと成長していくんですね。
子どもは親が大好きです。それは何歳になっても変わりません。
その親から信頼されているという感覚は大きな希望にもなり、親思いの優しく軸を持った成長へと繋がっていくでしょう。
終わりに
子育てというのはそれぞれのご家庭の事情から一概に言えることではなく、ご家庭それぞれの色合いがあります。
ですが、子どもを信頼しあえて目線を同じにし、接していくことで円満で温かな親子関係が築けていきます。
いまからでも遅くありません。あえて目線を同じにすることを意識していただければと思います。
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